4回目の退職願はほぼコピペなお話|パワハラ駄目、絶対

4回目の退職願はほぼコピペなお話|パワハラ駄目、絶対

7回目のジョブチェンジ

そんなこんなで再び、いや、通算して4度目の退職を完遂したワタクシで御座います。もう退職願を書くのもお手のものですね。前回のひな形をクラウドから引っ張り出し、日付と会社名を差し替えるだけですから。超手軽。

それにしても、コツコツと積み上げてきたジョブチェンジの回数も今度で7回目、もはや下手なRPGより転職しているかもです。一番なりたい「遊び人」への転職が、未だに達成されていないのは大変不本意ではありますが。

求ム、パワハラフリーな職場

ちなみに今回の退職理由は、「キャリアの幅を広げたい」だとか「第一線で活躍する御社で働きたい」だとか、面接時に笑いをこらえて発する「キラキラしい理由」では一切なく、単に「きめ細かなパワハラ」が原因でした。

しかも加害者が「出向先の社長」という、なんともステキなシチュエーション。

この一見すると複雑怪奇なシチュエーション、一体誰に文句を言えばよいのでしょう。未だに答えは見いだせずにおりますが、当時も混乱の渦中にて粛々と被パワハラを甘受しておりました。

ところで人はパワハラに被弾した際、何を思うのでしょう。怒り、哀しみ、やるせなさ、それこそパワハラの数だけ異なる感情が存在すると推察できます。それはきっと、夜空にまたたく星の数ほど多種多様な輝きを放つことでしょう。

深遠なる宇宙にひとつ、キラリと白銀のまたたきが生じるとき、地上では新たに一つの退職願が生じるのです、ハレルヤ。

ちなみに私の場合、無慈悲かつ理不尽なパワハラに被弾するたび、五臓六腑より「引っこ抜きたい」という抗いがたい衝動が、まるでイエスが与える水がごとく、私のうちで泉となり、永遠のいのちへ向かってコンコンと湧き上がっておりました(参照: ヨハネ4:13-14)。

あゝ、引っこ抜きたい

御存じのとおり、原始より人が有する「引っこ抜きたい」という本能は、現在ではその危険性ゆえ当局の管理下にあり、法により罰せられる禁忌となっています。

これはもちろんやむを得ないことでしょう。もしも人が野放図に人を「引っこ抜く」のを許したら、我ら人類はそう遠くない未来に「最期の一人を引っこ抜く」ことになるのは明白です。人は時としてやり過ぎる。これは過去の大戦で幾度となく証明されてきたことです。

しかしながら情感に直接響きわたる、あん畜生を「引っこ抜きたい」という圧倒的な誘惑、すでにその虜と化していた私は徐々に正常な判断力を失いつつありました。

そう、当時の私は身を焦がすような欲求不満に焼かれていたのです。それゆえ、パワハラ被弾の都度にその仔細を「本社の社長にチクる」という、ある種のマスターベーションを致しておりましたが、そんな些末な慰めではイエスでコンコンな己のリビドーを発散するには至らなかったのです。

あの圧倒的な欲求不満、あの湧き上がるリビドーは、ともすれば思春期の高校生が持て余すアレに匹敵していたことでしょう。ええ、一日に数回致していたあの頃のアレです。

白馬に乗った王子はいない

冷静に考えてみれば、いつかは現状を重く見た本社の社長が「白馬に乗った王子様」のごとく、あの卑小なる人物を懲らしめるなどと、ご都合主義が横行する巷の絵本よりも奇抜なファンタジーでしかありません。

しかしながらあの頃の私は、破瓜を迎える以前の乙女がごとく、清らかなる心にて「白馬王子」の降臨を夢見ておりました。

そうしてくだんの乙女は度重なる仕打ちに耐えに耐えつつ、被害報告という名の恋文を電子メールにしたため、虚無なる「白馬王子」宛にポチリポチリと発信しておりました。

しかしながら、これら恋文は所詮は身分の卑しき下賤が発するざれ言。そのことごとくは無視をされ、しまいにゃ「今後も協業する相手故、良好な関係を築かれたし」なる無慈悲な勅命が届いたわけです。

ここでようやく、私の薄氷よりもうすっぺらい期待にすがる日々は終焉を迎え、新たな退職願が完成されるに至ったわけです。

現場からは以上でした。

助手

社長公認のパワハラって、いったい……