本。たったの二文字。しかしながら、なんと素敵な響きだろうか
本。彼らは確かに私の盟友だった。わずか半年前までは。
そう、我らは常に供にあった。プライベートにおける余白の刻は言わずもがな、言葉通りに片時も離れることは無かったはずだ。
我らは寝食を供にし、排泄を供にし、放屁のかほりも余すことなくシェアをした。蜜月の時は自然と裸の付き合いまでにも発展し、彼らのうち幾人かは湯船に沈んだものである。
ともあれ最近はあまりの多忙ゆえ、なかなか読む気力が起きない。そう、時間はあっても読む気が綺麗さっぱり起きないのである。理由は分かっている。あのにっくき長時間労働のせいである。
半年前、私はもはやライフワークとも言える9回目の転職を果たした。やれやれ、これでようやく呪われし転職スパイラルが終了する。内定時に私はそう安堵をしたものだ。
実際、安堵ついでに、「俺、この転活が終ったら。この街に落ち着くんだ」などとフラグも立てている。
そして6か月後、フラグは適切に回収されていた。やはり歴史は繰り返すらしい。
どこかの偉人が言っていた。「労働はクソ」だと
確かに労働はクソだ。それも労基法のギリギリを攻める長時間労働を伴うならば、それはもうクソ以外の何でもない。私はサイエンチストであり、直観に頼った断定をすることは非常にまれだが、これだけは断言できる。
労働はクソだ。
新たな居場所、弊社における長時間労働、もしこれが単なる「長時間」というストレスのみなら耐えられたかもしれない。そのストレスは「サビ残の不夜城」と揶揄される県庁勤めの際に経験しているからだ。そこそこの耐性を有している自信がある。
まぁ、県庁は辞めたんですけどね。
しかしながら、弊社は一味違った。私は新任にもかかわらず、担当業務としてR&Dのテーマを「12個」拝命したのである。同時に12個。マルチタスクが1ダースである。
確かに私はやれば出来る子だと自認しているが、これは明らかな無茶ぶりだ。統計処理をするまでもない、有意に無茶だ。
そんな拝命ショックも冷めやらぬその日、新たな上席の向かいに座った私は、彼からダースなテーマについて一つ、また一つと説明を聞きながら、上の空で質疑をしていた。
この時点で抜け殻だったのは言うまでもない。
私はときにうなずき、また、ときにうなずいたフリをしながら、同一のワードを心の内にて反芻していた。
「アホか」と。
さて、世間一般においては、人ひとりがマネジメント可能な部下の人数は5~8人とされている。今回のケースは人ではないが、いかんせん私の肩書きは研究職だ。
この研究という業務たるや、情報収集から始まり、計画立案やら実験やら予算組みやら統計処理やら、あれやら、これやらをこなすのに手間がめっちゃかかるのだ。
この手間には時間だけでなく膨大な思考活動も含まれる。要は頭をしこたま使うのだ。
その結果、頭部がオーバーヒートを起こし、「半分が優しさ」で出来ているオクスリに頼ることもしばしばだ。ゆえにダースな職務数と部下のマネジメント数とを比較しても遜色はない。と思っている。
少なくとも頭を痛める、という点において違いはない。
それがだ、一度に12個である。
サッカーだって11人だ。想像してみてほしい。AIの補助もなく11人を一人で操作するサッカーゲームを。それはもはや娯楽たりえない。
単なる苦行だ。
そんなのは楽しいどころか、忙殺の権化である。娯楽には精神的な余裕が肝要なのだ。まして我が身に降りかかった厄災は、さらに多い12人、しかも個々のテーマがバラバラなのだ。
このバラバラは厄介だ。
プレイヤー12人を一人で操るサッカーならばまだ救いがある (いや、無いが)。
だが我が厄災は、野球、サッカー、相撲にテニス……これら12の異なるスポーツをダースにこなす異次元の業務なのである。
世間では某国の首相が「異次元のなんちゃら対策」なんぞを掲げているそうだが、きっと我が結果も同じ帰結をみるだろう。
そう、悲惨な末路を辿るのみだ。
この時点でもう辞めたい。
そもそも、私はマルチタスク反対派なのだ
マルチタスクについては、スタンフォード大学の研究「メディアマルチタスク作業者の認知的統制」で、その弊害が報告されている。曰く、恒常的かつ継続的なそれは「効率が悪い」、と。
同様の考察は、行動経済学の巨匠、センディル・ムッライナタンおよびエルダー・シャフィールも「著書: 欠乏の行動経済学」の中に記載している。曰く、恒常的かつ継続的なマルチタスクは、人を「マヌケ」にすると。
そして、今現在、「恒常的かつ継続的なマヌケ」である私は、日々のやらかしによって彼らの報告を着々と裏付けしている。
私は育ちの良さから自慢話を好まないが、今の自分には調合する試薬の種類・分量を間違うことなど、赤子の手をひねるよりも簡単である。
面識すらない他部署の部長に稟議を送りつけるのも朝飯前だ。
他にも、息を吐くように会議をすっぽかしている。
ちなみにこのスッポカシは先週で通算4回を数えたらしい。「次はないぞ」と上席が息まいていたが、私は確信している。
「次もきっとある」ことを。
その確信には根拠がある。R&D業界に長らく在籍していると、稀に「ゾーンに入った研究者」と出会うことがある。彼らは24時間体制でセレンディピティを発揮し、日常生活のあらゆるキッカケで新発明を閃くそうだ。
これは湯船に浸かってホッとした瞬間にアイデアが湧いてくる、そんな逸話の上位互換とも言えよう。
閃きが閃きを呼び、しばし彼らは無双の創造者と成り代わるのである。
そして今の私もどっぷりとゾーンにハマっている。マヌケがマヌケを呼び、最近では、1日1度はチャック全開で闊歩せねば気が済まない。
しかも三たびに1度は、ズボンのフロントボタンも開放する徹底っぷりだ。
このまま順当にいけば、パンツを履き忘れて出勤するのも夢ではない。肩書きに「変態」の2文字が加わる日も遠くはないだろう。
そうすれば私は「変態主任研究員」に昇進する。
ワンチャン、2階級特進で「変態専門研究員」もあり得るだろう。
兎にも角にも、そんなセレンディピティがダダ漏れている今日この頃だ。
テーマは「本」だったはずだ
現在、「3歩あるいたら会議を忘れる」ほどに処理能力が衰退している私である。恐らくここまで記述した内容は、テーマから激しく逸脱していることであろう。どうか赦してほしい。
本題に戻ろう。今更ながら、私のX (旧: Twitter)におけるID「bon_tadoku」について説明したい。聡明な我がフォロワー諸氏は既にお気づきと察するが、これは「多読本」のアナグラムである。
そう、bonは「本」を由来とする。ゆえに、これほど私とマッチした3000文字チャレンジのテーマは他にはないと思う次第。
そんな運命めいたものを感じ、私は貴重な、それはもう貴重なこの週末を3000文字の執筆に捧げている。確か来週は資格の試験日だった気もするが、そんな事はどうでもいい。
何しろ処理能力が恒常的に残念なのだ。試験よりも運命が大事、そう脳が誤認するのも仕方がない。
で、多読本に話を戻そう。このIDを作ったのは2年か3年前か、その辺りだろう。その頃、私の人となりを表す言葉は、文字通りの多読だった。
処理能力がこのうえなく遺憾な今では夢のようだが、当時、私は週に複数の書籍を読んでいた。きっと今よりもマシな就業環境だったのだろう。
参考までに、これまでの読書記録によれば、通算で1,204冊を読破したそうな。
ちなみに読書のジャンルはコロコロ変わる。学生時代には娯楽としてホラー小説を読み漁り、新採の頃には啓蒙書、仕事で学会発表の機会が増えるにつれ、プレゼンに特化した時期もある。
こうして記録を俯瞰してみれば、キャリアが進むにつれ娯楽としての読書割合は減少し、次第に「時短」に関連する書籍が増えている。
総括すれば、「娯楽」に始まったそれは、「人間関係」の改善を求め、次に「時短」を求め、さいごに「転職」を求めている。
我が半生ながら、何とも世知辛い。
なお、直近では「不幸っぽい現状を肯定してくれる」慰めの一冊を探している。
が、都合のよい本との出逢いはなかなかに難しい。
よって代替として鈴木祐著「科学的な適職」の再読しつつ、いつか救いが訪れることを夢見ては、夜な夜な枕を濡らしているのだ。
おそらく、この救いが成就するとき、おそらく私は新たな転職をすることだろう。名刺の更新も今度で10回目。次こそ最期にしてほしいと五体投地で願っている。
読書習慣の獲得
上述のように、日常の不満と読書ジャンルがリンクする、言い換えれば問題解決を書籍に求めるのが私の癖である。
そんな単純な思考回路が露呈したところで、私が読書を始めたきっかけを紹介したい。
読書のキッカケ、それには母の存在が大きい。小学校の低学年時、毎週末に母が図書館へと連れて行ってくれたのだ。あの習慣が今の私を形づくっていると言っても過言でない。
あの幼き日、今では面影すらないが華奢で愛らしく、それはもう聡明な顔つきをした少年にとって、図書館は唯一しっくりくる知的な居場所だった。
年に一度、親の仕事の都合により転校を繰り返す彼には友達が居なかった。
理由は単純だ。
転校生というマイノリティー、さらに彼は無駄に聡明な顔つきをしており、また、よせばいいのに非凡でイカれた思考回路を有していたからだ。
イカれた思考。それは、学校でネガティブな事象に遭遇するたび、「転校はよ」と、短絡的な解決策を見いだす思考回路である。
ようは環境に適応するよりも、環境そのものを改変しようという、どこぞの独裁者的な思考を持ち合わせていたのだ。
幼くして支配階級の精神を宿す。そんな彼に友人が居なかったのは無理がない。
今日は教員に怒られた。よし転校だ。
学友と喧嘩した。はい転校。
明日からは期末テストだ。転校はよ。
こんなのは、もはや事あるごとに「増税」を強行する某国の首相と何ら変わりはない。誰が仲良くなりたいだろうか。
そして当然ながら、哀しいかな某国の平々凡々な公立小学校では、そんな希少人材に対して適切な居場所を提供できなかった。
彼は転校する先々で孤立した。
いちおう誤解なきよう記しておくが、彼が孤立したのは「例の思考回路」のせいである。
決して、彼が自他共に認めるほどに内気で暗く、「ぼっち」の化身たる存在だったせいではない。単に生まれる時代をたがえただけだ。
さて、集団生活、迎合こそが正義という息苦しい学び舎とは正反対、孤独を是とする知の宝庫たる図書館はどんなに素晴らしかったことだろう。
壁一面を占める知恵の山岳。ありとあらゆる先人たちの英知がそこにはあった。無用に聡明な顔つきをしていた愛らしい少年は、すぐにそれらの虜となった。そして理解したのだ。
ああ、ココが、ココこそが、ぼっちの居場所だと。
そうして彼は読んだ、読みまくった。誰に強制されるでなく、自らに必要な至高の一冊。それを自ら選び取り、誰に強制されるでなく読破した。
彼は寝食を忘れ、宿題を忘れ、結果、故意に学校に行くことすら忘れ、次々と知恵の果実を貪った。それは驚異的な没頭だった。
そう、齢8~9歳にして彼はゾーンを習得していたのだ。我ながら、末恐ろしい少年である。
8~9歳、ともすれば「うんこ」の一言で一日中でも爆笑できてしまう危うい世代である。そのなかで、聡明な顔つきをしている彼は自身を見失わなかった。
彼は図書館に通い続け、世界中の名著を片っ端から読み漁り、教養・学識・知恵、その全てを独学していった。
あるときは「ぐりとぐら」で世の理を解し、またあるときは「ドリトル先生」で科学と世界に思いを馳せる。彼の向学心はまさに圧倒的の一言だった。
そして月日は流れ、向学心の果て、彼は社畜研究者となった。
ちなみに友達はあまりいない。