店員さんから「おすすめ」されるのが苦手で、上手に断れないという話

07|3000文字チャレンジ|おすすめ

3000文字チャレンジ|おすすめ

私は「おすすめ」が苦手だ。いや、正確には「おすすめ」されたものを断るのが苦手だ。きっと彼ら営業さんは、何かを期待して声を掛けたのだろう。

それを無下に断ってしまったら、さぞかしガッカリするに違いない。そんなふうに思ってしまうのだ。きっと育ちが良すぎるせいだろう。

ゆえに強い言葉にならないよう、相手に不快な思いをさせぬよう、やんわり、やんわりと婉曲的にお断りするのが私の常だ。

が、これが百戦錬磨の営業さんだと、なかなか辞去の意思が伝わらない。いつの間にやら、更なる「おすすめ」があれよあれよと重ねられ、商品の「お得情報」を1から10まで聞かされることが少なくない。

そして大抵の場合、彼らの商品は一つきりには収まらないのだ。よって彼らに捕まったが最後、私の貴重な休日は、その瞬間に終焉を迎えるのである。例えば「浄水器の尊さ」という、これまた「尊い」知識と引き換えにして、、、。

マイホームのすすめ

振り返れば、街の通りには営業さんがなんと多く居ることだろう。過去には散歩をしていただけなのに、いつの間にか住宅展示会へと引きずり込まれ、危うく「フラット25」を契約しそうな勢いだった。

ちなみに、私はまだ25年の住宅ローンを組む覚悟ができていない。それに慢性的な「温もり」の欠如を、無垢材とやらで補完するのは虚しいことだ。

一度も訪れたことのない「北欧」スタイルを勧められてもピンとこないし、わざわざ狭いキッチンに「島 (アイランド)」を作るのは如何なものか。

ウッドデッキでわいわいするのは楽しいだろうが、独りで粛々とおこなうBBQを、世間では「団らん」などとは呼ばないだろう。

これら「おすすめ」を一つひとつ論破するのは大変だ。営業さんが保持する引き出し数は計り知れない。いつの間にやら話は金利査定や、融資の可否まで進んでしまう。

そろそろ解放してはくれまいか? 私はお散歩をしていただけなのだ。1本100円。醤油がよく染み込んだ「玉こんにゃく」を、帰りがけにハフハフしてれば満足なのが私である。

ひと月、何万までなら支払えますか? それならアパート代より得ですね? 今なら10年保証の外壁塗装がオススメですよ? そんな話題はノーセンキューだ。

今日は何をお探しですか

やはり私は「おすすめ」されるのが苦手である。そのほか身近な例では、アパレルショップの店員さんも恐ろしい。

彼らは山ほど「おすすめ」アイテムを持っている。しかも質問攻めも容赦がない。彼らは事あるごとに、「今日は何をお探しですか」と訊いてくる。

「今日は何を探しているか」。これは実にシンプルな質問だ。だが改めて問われてみれると、明確な答えはなかなか見つからない。

少なくとも今の今までは、私は「お出かけ用のアウター」を探していたのだ。しかし私は既にショップに到達している。すなわち、「お出かけ」自体は果たされたのだ。

なれば、これは最適解とはいえないだろう。だとすれば、探していたのは「通勤用のアウター」だろうか? いや、これまでも私は通勤する際、アウターを何度も着用している。

それに万一これらが無いからといって、私はそれを理由に出勤するのを辞めはしない。最悪、凍えながらも通勤するのは間違いない。

私は責任感の塊なのだ。つまりは、「通勤用のアウター」なるもの自体が、私にとっては成立しないワードとなろう。

だとすれば、私は何を探しているのだ? 「店内を自由に見回る時間」だろうか。いやいや店員さんが問うているのは、そんな次元の話ではない。

ならば「富」か「名声」だろうか。人が求めるものの代表格だ。だがおそらくは、これら二つも違うだろう。

というのも私はとある途上国に長期滞在し、直接この目で見てきたのだ。ネットも電気も水道も、ましてや住まいや明日の糧にも不自由しながら、なおも幸せそうに笑い合える人がいることを。

そう、「幸せ」を獲得する手段は、何も「富」や「名声」だけではないのだ。

現に、日本で生活している私は、幸運にも「飢え」とは無縁の日常だ。そして私は、これがとても「幸せ」なことだと知っている。

異論は多分にあるだろうが、「幸せ」というものは、それらを自覚できること、そして感謝の心を持てさえすれば、寿命を全うするには事足りるのだ。

そのほか、私に出来ることといったら、この「幸福」を誰かと分かち合うことだろう。だが店員さんに「伴侶」の在庫を訊くのは間違っている。

おそらくアパレルショップでは、「伴侶」の取り扱いをしていない。そもそもクリアランスセールで購入すべきでないのは明確だ。「花嫁、今だけ3割引」。売るのも買うのも失礼すぎる。

普段はどんな服を着ていますか

だが、定員さんの質問攻めはまだまだ続く。彼らは「普段はどんな服を着ていますか」と訊いてくるのだ。

「どんな服」、とは何だろう。何と回答するのが正解なのだ? フォーマルだろうか、それともカジュアルだろうか?

おそらくどちらも不正解だ。こんなTPOに関わるアンサーは、出先次第でいかようにも変わってしまう。

たとえフォーマルのつもりで着用してみたタキシードですら、「面接室」では最上級のカジュアルウェアへと変わるだろう。

私は蝶ネクタイで、面接官の前に立つ勇気はない。

ああ、私は「普段、どんな服」を着ているのだろう? 誰か教えて欲しい。もはや質問にある「普段」ですら、どの時間軸を指しているのか分からない。

こうなってくると、単に「おすすめ」を断るのが苦手というよりも、人との対話自体に難がありそうだ。

確かに学生時代から研究畑にいた私は、フィールドに出て草木に話しかける方が気が楽だ。

何より草木たちは、以前の職場にかかってきていた電話のように、ズレた会話をしてこない。

「田んぼに車が落ちた」のは私のせいではないし、「カラスが鳴く」のは本能だろう。

これらのズレを修正するのは、住宅ローンを断ることより遥かにムズい。

やはり私はシャーレの中ですくすく育つ、カビの類と対話するのが性に合う。別にこれがバクテリアだってウェルカムだ。

彼らは電話で、「台風の進路をずらせ」と要求しない。

正義の話をしよう

「台風の進路をずらせ」。おそらく、この電話の主は「正義の人」なのだろう。

確かに、直撃しつつある台風の進路をずらせば、この田舎の農作物は被害を受けない。

結果、多くの農家が救われるだろう。だが、事態は複雑なのだ。ずらした先には、日本屈指の百万都市が存在する。

金融を主としたサービス業の中心地。ここに台風が直撃すれば、経済的には遥かに大きい被害となろう。

きっと一時的な被害の額を憂慮するなら、台風の進路を変更すべきではないのだろう。だが当然ながら、これは数字だけでは決められないのだ。

桃栗三年柿八年。農業は再生するまで、数年規模の時間がかかる。この間、担い手保護はどうすればいい?

おそらく最初の年で離農者数は急増し、耕作放棄地はますます拡大するだろう。

一方で、市場には安価な輸入品が席巻しはじめ、国内産業の淘汰が進む。

「食の安全・安心」が確証された国産品は希少となり、富裕層しか手が出せなくなるのは間違いない。

スーパーの主力銘柄は、たちまちカリフォルニア産「コシヒカリ」に取って代わるだろう。こうなれば、もはや自給率が上向くことなど夢物語だ。

こうした背景を熟考してか知らずか、電話の主は相も変わらず「進路をずらせ」とがなっている。私はどちらを守ればいい?

直近の日本経済、それとも10年先の農業か? いったいどちらが「おすすめ」なのだ?

結局私は、あの重大な選択を迫られる日々から逃げたのだ。だがそれで良かったのだろう。現に後輩はうまくやっているようだ。

日本経済は今のところ回っているし、農業界にも急転直下は見られない。やはり私は、微生物の入った試験管と語らう方が気が楽だ。

きっと今後も「おすすめ」は苦手なままだろう。

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