3000文字チャレンジ|おすすめ
私は「おすすめ」が苦手だ。いや、正確には「おすすめ」されたものを断るのが苦手だ。きっと彼ら営業さんは、何かを期待して声を掛けたのだろう。
それを無下に断ってしまったら、さぞかしガッカリするに違いない。そんなふうに思ってしまうのだ。きっと育ちが良すぎるせいだろう。
ゆえに強い言葉にならないよう、相手に不快な思いをさせぬよう、やんわり、やんわりと婉曲的にお断りするのが私の常だ。
が、これが百戦錬磨の営業さんだと、なかなか辞去の意思が伝わらない。いつの間にやら、更なる「おすすめ」があれよあれよと重ねられ、商品の「お得情報」を1から10まで聞かされることが少なくない。
そして大抵の場合、彼らの商品は一つきりには収まらないのだ。よって彼らに捕まったが最後、私の貴重な休日は、その瞬間に終焉を迎えるのである。例えば「浄水器の尊さ」という、これまた「尊い」知識と引き換えにして、、、。
マイホームのすすめ
振り返れば、街の通りには営業さんがなんと多く居ることだろう。過去には散歩をしていただけなのに、いつの間にか住宅展示会へと引きずり込まれ、危うく「フラット25」を契約しそうな勢いだった。
ちなみに、私はまだ25年の住宅ローンを組む覚悟ができていない。それに慢性的な「温もり」の欠如を、無垢材とやらで補完するのは虚しいことだ。
一度も訪れたことのない「北欧」スタイルを勧められてもピンとこないし、わざわざ狭いキッチンに「島 (アイランド)」を作るのは如何なものか。
ウッドデッキでわいわいするのは楽しいだろうが、独りで粛々とおこなうBBQを、世間では「団らん」などとは呼ばないだろう。
これら「おすすめ」を一つひとつ論破するのは大変だ。営業さんが保持する引き出し数は計り知れない。いつの間にやら話は金利査定や、融資の可否まで進んでしまう。
そろそろ解放してはくれまいか? 私はお散歩をしていただけなのだ。1本100円。醤油がよく染み込んだ「玉こんにゃく」を、帰りがけにハフハフしてれば満足なのが私である。
ひと月、何万までなら支払えますか? それならアパート代より得ですね? 今なら10年保証の外壁塗装がオススメですよ? そんな話題はノーセンキューだ。
今日は何をお探しですか
やはり私は「おすすめ」されるのが苦手である。そのほか身近な例では、アパレルショップの店員さんも恐ろしい。
彼らは山ほど「おすすめ」アイテムを持っている。しかも質問攻めも容赦がない。彼らは事あるごとに、「今日は何をお探しですか」と訊いてくる。
「今日は何を探しているか」。これは実にシンプルな質問だ。だが改めて問われてみれると、明確な答えはなかなか見つからない。
少なくとも今の今までは、私は「お出かけ用のアウター」を探していたのだ。しかし私は既にショップに到達している。すなわち、「お出かけ」自体は果たされたのだ。
なれば、これは最適解とはいえないだろう。だとすれば、探していたのは「通勤用のアウター」だろうか? いや、これまでも私は通勤する際、アウターを何度も着用している。
それに万一これらが無いからといって、私はそれを理由に出勤するのを辞めはしない。最悪、凍えながらも通勤するのは間違いない。
私は責任感の塊なのだ。つまりは、「通勤用のアウター」なるもの自体が、私にとっては成立しないワードとなろう。
だとすれば、私は何を探しているのだ? 「店内を自由に見回る時間」だろうか。いやいや店員さんが問うているのは、そんな次元の話ではない。
ならば「富」か「名声」だろうか。人が求めるものの代表格だ。だがおそらくは、これら二つも違うだろう。
というのも私はとある途上国に長期滞在し、直接この目で見てきたのだ。ネットも電気も水道も、ましてや住まいや明日の糧にも不自由しながら、なおも幸せそうに笑い合える人がいることを。
そう、「幸せ」を獲得する手段は、何も「富」や「名声」だけではないのだ。
現に、日本で生活している私は、幸運にも「飢え」とは無縁の日常だ。そして私は、これがとても「幸せ」なことだと知っている。
異論は多分にあるだろうが、「幸せ」というものは、それらを自覚できること、そして感謝の心を持てさえすれば、寿命を全うするには事足りるのだ。
そのほか、私に出来ることといったら、この「幸福」を誰かと分かち合うことだろう。だが店員さんに「伴侶」の在庫を訊くのは間違っている。
おそらくアパレルショップでは、「伴侶」の取り扱いをしていない。そもそもクリアランスセールで購入すべきでないのは明確だ。「花嫁、今だけ3割引」。売るのも買うのも失礼すぎる。
普段はどんな服を着ていますか
だが、定員さんの質問攻めはまだまだ続く。彼らは「普段はどんな服を着ていますか」と訊いてくるのだ。
「どんな服」、とは何だろう。何と回答するのが正解なのだ? フォーマルだろうか、それともカジュアルだろうか?
おそらくどちらも不正解だ。こんなTPOに関わるアンサーは、出先次第でいかようにも変わってしまう。
たとえフォーマルのつもりで着用してみたタキシードですら、「面接室」では最上級のカジュアルウェアへと変わるだろう。
私は蝶ネクタイで、面接官の前に立つ勇気はない。
ああ、私は「普段、どんな服」を着ているのだろう? 誰か教えて欲しい。もはや質問にある「普段」ですら、どの時間軸を指しているのか分からない。
こうなってくると、単に「おすすめ」を断るのが苦手というよりも、人との対話自体に難がありそうだ。
確かに学生時代から研究畑にいた私は、フィールドに出て草木に話しかける方が気が楽だ。
何より草木たちは、以前の職場にかかってきていた電話のように、ズレた会話をしてこない。
「田んぼに車が落ちた」のは私のせいではないし、「カラスが鳴く」のは本能だろう。
これらのズレを修正するのは、住宅ローンを断ることより遥かにムズい。
やはり私はシャーレの中ですくすく育つ、カビの類と対話するのが性に合う。別にこれがバクテリアだってウェルカムだ。
彼らは電話で、「台風の進路をずらせ」と要求しない。
正義の話をしよう
「台風の進路をずらせ」。おそらく、この電話の主は「正義の人」なのだろう。
確かに、直撃しつつある台風の進路をずらせば、この田舎の農作物は被害を受けない。
結果、多くの農家が救われるだろう。だが、事態は複雑なのだ。ずらした先には、日本屈指の百万都市が存在する。
金融を主としたサービス業の中心地。ここに台風が直撃すれば、経済的には遥かに大きい被害となろう。
きっと一時的な被害の額を憂慮するなら、台風の進路を変更すべきではないのだろう。だが当然ながら、これは数字だけでは決められないのだ。
桃栗三年柿八年。農業は再生するまで、数年規模の時間がかかる。この間、担い手保護はどうすればいい?
おそらく最初の年で離農者数は急増し、耕作放棄地はますます拡大するだろう。
一方で、市場には安価な輸入品が席巻しはじめ、国内産業の淘汰が進む。
「食の安全・安心」が確証された国産品は希少となり、富裕層しか手が出せなくなるのは間違いない。
スーパーの主力銘柄は、たちまちカリフォルニア産「コシヒカリ」に取って代わるだろう。こうなれば、もはや自給率が上向くことなど夢物語だ。
こうした背景を熟考してか知らずか、電話の主は相も変わらず「進路をずらせ」とがなっている。私はどちらを守ればいい?
直近の日本経済、それとも10年先の農業か? いったいどちらが「おすすめ」なのだ?
結局私は、あの重大な選択を迫られる日々から逃げたのだ。だがそれで良かったのだろう。現に後輩はうまくやっているようだ。
日本経済は今のところ回っているし、農業界にも急転直下は見られない。やはり私は、微生物の入った試験管と語らう方が気が楽だ。
きっと今後も「おすすめ」は苦手なままだろう。