ペルー旅行記「レインボーマウンテン編」Part1-青色申告と癒しの旅

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たまには違った趣向の雑記を書けないだろうか。そうだ、旅行記はどうだろう。アレはいいものだ。他人の旅行記を読んでいるとワクワクしてくる。あんなキラキラしい体験を自分もしてみたい。そんな思いでいっぱいになる。

んで、実際にこの記事を書いてみた。そして思った。「なんか違う」と。

キラキラしい旅行記とは

できあがった旅行記を読み返してみる。感想については上手く言えないが、なんか、キラキラ、ワクワクのベクトルが違うことが分かる。あまりに違いすぎて、どちらかと言えば「澱 (よど)んでいる」いるようにも思える。

実際、もし他人から「この旅行を追体験をしてみたい?」と訊かれても、私は拒否をするだろう。

きっとこれを読んだ方も同じだ。

決して「私もこんな旅行がしてみたい」などとは思うまい。

ともかく、そんな記事の仕上がりとなってしまった。何かがおかしい、私が焦がれたあのキラキラは何処にあるのだろうか?

今もわからない。

旅の始まり

当時、私は疲れていた。長年働いた職場を辞し、居住地を変え、職を変え、私はとても疲れていた。

本の知識だけを頼りに起業をし、がむしゃらに働きづめの毎日。そんなある日、突如として現れた多大な仕事に私は押し潰された。

ああ、この業務量は絶対に無理だ。期日までに間に合わない。そう悟った私は、ついに挫折の声をあげた。

青色申告が面倒せぇ」、と。

青色申告である。その申告手続きの方法だけで一冊の指南書が書けてしまう、超難解な税制度だ。

実際、Amazonにはゆうに3,000を超える青申の関連書がが存在する。

やれやれだ。こんなにも申告手続きが面倒なら、いっそのこと廃業してしまおうか

当時、青申チェリーだった私が領収書の山を前に、そんな不埒なことを考えたのも無理はない。

だが近頃はようやく事業が軌道に乗り始め、売上高も上昇傾向だ。ここで辞めてしまうのは何とも後味が悪い。そもそも起業したきっかけは、実業家・大嶋啓介の言に感銘を受けたからではなかったか。

曰く、「失敗とは何もしなかったこと、行動しないこと」である。

私はかつて辞職という情熱的な「行動」を取った。なのに、今は「何もしない」道を選ぼうとしている。

いかんいかん、どうやら多忙な毎日に初心を失っていたらしい。ならば答えは簡単だ。情熱を取り戻すのだ。青申を知らなければ勉強すればいいだけのこと。

こうして初心を取り戻した私は、溢れんばかりの情熱を胸に「廃業届」を書き上げ、そのままの勢いよろしく税務署の担当官へと手交した。

始めよう、瞑想

情熱の対象が知らぬ間に「廃業」に切り替わった理由は不明だ。だが、安心して欲しい、青申はちゃんと処理済みだ

ちなみに余談ではあるが、その後の転活は難航した。

当然である。

青色申告が面倒」。そんな理由で廃業すら厭 (いと)わないアグレッシブ人材を、そんじょそこらの企業が飼いならせるはずもない。

面接のたび、「こいつ、堅気じゃねぇ」。そんな面接官の警戒心がヒシヒシと伝わってくる。うっすらと予想はしていたが、1次面接すら通らない現実に私は疲れていた。疲れ果てていたのだ。

そんなときだ。私が「オーン、ナーム、スバーハー」に出会ったのは。

これは書籍「始めよう。瞑想 (宝彩有菜)」で紹介されているマントラ (真言)である。この言葉を唱えつつ瞑想し、心を整えましょう。そんな主旨で書かれた、瞑想のマニュアル本だ。

私は本書にいたく感銘をうけ、さっそくこの瞑想法を実践してみた。

「オーン、ナーム、スバーハー」だ。

ただただ無心に「オーン、ナーム、スバーハー」だ。

5分くらいは繰り返しただろうか。確かに胸がスッとした気がする。だが、足りない。あの何ともいえない「人生に疲れた」感は残ったままだ。

そう、通常の「オーン、ナーム、スバーハー」では癒せないほど、私の心はボロボロだったのだ。

だが私はアグレッシブだった。

足りなければ、足せばよい。「オーン、ナーム、スバーハー」は完璧な瞑想法だ。なにせ本書は、Amazonレビューで星をいっぱい獲得している。間違いない。

これは恐らく、アレだ。

瞑想を実施するのが私の小汚いアパートというのが悪い。きっとそうに違いない。

なぜなら、瞑想は身体全体を使った深呼吸を要する。腐海のごとく、瘴気ただようこの部屋では瞑想の効果が得られないのも当然だろう。

フレッシュな空気はいずこに

瞑想法は身に付けた。ならば、あとは空気。「フレッシュな空気」が必要だ。しかし、フレッシュな空気とは一体どこにあるのだろう?

やはり山だろうか?一般的に、山の空気は「美味しい」と比喩される。間違いない。

ならば、自然がいっぱいの高い山がいいだろう。きっと、高ければ高いほどいいに違いない。そうだ、富士山より高い山はどうだろう。

日本の最高峰、3,776 mを超えるフレッシュさだ。いいぞ、瞑想の限界を目指すのだ。

ひとつだけ懸念があるとすれば、私は登山チェリーである。当然、富士山も未経験だ。

山を舐めるな」。そんなフレーズを真っ向から肯定し、私は日頃から山に近寄らないことを徹底している。

もとより、夏休みと聞いて「山よりも海」と即答するような人間なのだ。

だが、事情が変わった。

心が、ボロボロなのである。今の私には、登山チェリーでも到達可能、かつ、富士山を越える高みが必要なのだ。

そうして私は文明の利器「グーグル」を駆使し、答えが南米にあることをつきとめた。アンデス山脈の秘境、「レインボーマウンテン」である。

標高5,036m、富士山の約1.5倍。これならフレッシュさは十分だろう。しかも登山技術は不要、ハイキング程度の装備で登れるらしい。これならば今の私にうってつけだ。

写真をググると「レインボーマウンテン」はとても美しかった。

多様な色彩の地層が連なり、山肌がカラフルな虹色を成している。まさに自然の奇跡である。ここで「オーン、ナーム、スバーハー」をすれば、瞑想だけでなくスピリチュアルな効果も得られよう。

きっと私の心は整いまくるに違いない。

となれば、こうしてはいられない。「失敗とは何もしなかったこと」だ。私は手っ取り早く航空チケットを購入し、心を整える旅へと出立した。

アンデス山脈、クスコという街

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クスコ, アルマス広場|photo by bon

さて、クスコである。ペルー南東に位置する観光都市クスコ。13-15世紀に栄華を極めたインカ帝国の首都だ。

すばらしい。

こうして広場の教会を眺めているだけで、すでに空気のフレッシュさが感じられる。それもそうだ。このクスコもアンデス山脈の一部なのだ。

ちなみにクスコの標高は3,400m。富士山の3,776 mに迫る勢いのフレッシュさである。

それにしても随分と遠くに来たものだ。

そんな感慨、いや感動のせいだろうか。私は手が震えているのに気が付いた。改めて手のひらを眺めてみると、指先が小刻みに痙攣している。握ってみると少し痺れもあるようだ。

私は小さくほくそ笑んだ。これは早くも心が整い始めたに相違ない。概して治療とはこうした違和感から始まるものだ。

震えと痺れ、これらは「地球の歩き方」で読んだ高山病なにがしの症状に似ているが、きっと気のせいだろう。自分の身体は、自分が一番よく知っている。そういうものだ。

さて、ともかくクスコに着いた。そうとなれば最初にやることは決まっている。腹ごしらえだ。

ここで注意したいのは、浮かれたビギナーがやりがちな、アルパカ肉モルモット肉といった、ペルーの伝統食材へと安易に走らないことだ。

なぜなら私の心がボロボロなのを忘れてはいけない。ましてや、今は地球の反対側にいるのだ。下手にローカルフードに手を出して、「やっぱ、白米が食べたい」などと、ホームシックにかかったら致命的だ。

熟練した旅人の選択|クスコで最初に行くべきレストラン

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うどんゃ「慕情さん」|photo by bon

ホームシックにかかっている場合ではない。そんな崖っぷちの旅人こと私が、クスコで最初に選んだレストランは「うどんゃ 慕情さん」だった。

慕情 (ぼじょう)、すなわち「異性を恋しく思う」の意だなんと素敵なネーミングだろうか。

そんな日本語の妙に触れ、私はふと感慨にふけった。ここより1万6千kmの距離を隔てた日本。その何処かで、現在、元カノは幸せな日常を送っているのだろうか、と。

いや、おそらく彼女はイビキをかいて爆睡中だ。クスコとは時差が半日ほどもある。今の日本は真夜中だ。きっと歯ぎしりも凄いに違いない。

言葉も分からぬ土地にて、かつて悩まされた暗き思い出と共にうどんをすする。これはさぞかし、趣き深い喉ごしとなるに違いない。

これならホームシックにかかる要素は1ミリもない。そう確信した私は独りうなずくと、威風堂々のれんをくぐった。

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「慕情さん」店内 |photo by bon

こちらが「慕情 (ぼじょう)さん」の店内だ。インカ特有の緻密に組まれた石組み。それが、モダンな造りとマッチしている。メニューも豊富だ。

私はためらうことなく、店名を冠する「慕情さんうどん」をオーダーした。

やはりクスコに来たら「慕情さんうどん」の一択であろう。鴨うどんやカレーうどんは日本でもありつける。そんな定番メニューは帰国したのち、日本で好きなだけ食せばいいのだ。

せっかくのクスコでそんな定番チョイスは有り得ない。

私は熟練の旅人なのだ。新しい経験に価値を求めるのが旅人の本懐。そもそも定番の人生を否定したからこそ、私は遥かなる南米の地を踏んでいるのである。

特徴がないのが特徴、そんな一言で形容可能な「慕情さんうどん」こと鶏肉うどんに舌鼓を打ちながら、私は独りそんなことを考えていた。

さて、腹も膨れたので当初の目的、「オーン、ナーム、スバーハー」の完成を目指すとしよう。何やら消化不良な思いを抱きつつ、私はうどん店をあとにした。

しかして、「レインボーマウンテン」へのツアーチケットはすでに手配済み、そして出発は翌朝。私は途端にヒマを持て余した。

よって、午後は市街を散策することにした。クスコは街中にも遺跡がある。こうした歴史的建造物は好物だ。何しろ映える。

興奮のせいか、いまだ痺れる手足を引きずりながら、私は中心街へと繰り出した。

シャイ・ボーイとの出会い

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クスコの路地にて|photo by bon

さて、標高3000m越えの薄い空気にフラフラしながら、インカの名残に満ちた路地を進んでいると、突然に胸倉をつかまれた。

相手は見知らぬ若者だ。「金を出せ」と繰り返している。

実のところ、こうした手合いに私はうんざりしていた。路上生活者の多い南米では物乞いが珍しくない。よって、道端に座り込んだオッサンが通行人に小銭をせびるのは、もはや日常の一コマなのだ。

実際、この若者に出逢うまでも、私は10を超える「アミーゴ」達からラブコールを受けていた。

だがこの若者は今までのアミーゴ達とは一味違う。何しろ胸倉を掴んでいるのだ。これは、アレだ。

失礼な人だ

そんな失礼な人を改めて眺めてみると、彼からは暴の匂いがプンプンしていた。シャツをまくり上げた前腕にはデカデカと彫られたタトゥーが覗いている。鷹のモチーフだ。

そして特筆すべき彼の特徴は、この獲物を狩るような瞳である。

まるで、焦点の定まっているようで、いないような。

そして、真っ直ぐなようで、真っすぐでないような。

おそらくはジャンキー、もしくは他人と目を合わすと照れてしまうシャイ・ボーイのどちらかだろう。

さりとて、その怪しげな瞳とは異なり、その堂々たる立ち振る舞いには光るものがあった。

実際、彼の手には本当に光るモノがあった。「ナイフ」、確か日本ではそう呼称されている便利グッズだ。

そんな色々と光るものを有する彼は、「フィフティー・ダラー (50ドル)」としきりに唾を飛ばしていた。

正直、私は驚いていた。

挨拶に名刺交換、そんな商談の定番を吹っ飛ばし、最初から価格を指定してくる営業マンは彼が初めてだったのだ。

これが噂に聞くオラオラ営業というものか。聞くと対面するとでは大違いの迫力だ。

おそらく彼は相当にデキる営業だ。だが私とて社会人暦は長い。そしてプロ市民が相手でも常にジェントルたれ、と上司から言われ続けた元公務員なのである。

ならば、いまこそジェントルの気概というものを見せてやろうではないか。

見せてやろう、ジェントルの気概というものを

と、息巻いてはみたものの、私は困っていた。

平常時であれば一分の隙もない「Do Ge Za」をビシリとお披露目し、その芸術的価値にいたく感銘を受けた相手は手打ちを申し出たはずだ。だが如何せん、この日、私の手足は痺れていた

また一般論ではあるが、襟首をつかまれた状態において「Do Ge Za」はできないとされている。当時、壁に押しつけられていた私にはなおさら無理ゲーだったろう。

万事休すだ。

インカの時代より受け継がれる「剃刀の刃一枚通さぬ」石組みにて、人生初の「壁ドン」を拝受するこの事態、そんな贅沢に私はなす術もなく、ただただ頬を赤く染めていた。

とはいえ、いつまでも「キュン」に甘んじているわけにはいかない。

突如はじまった路上ラブコメに、往来の観光客は足は止める。だが、彼らは遠巻きに眺めているだけで誰も咎めようとはしないのだ。

だがそれも当然のことだろう。

そう、他人の恋路は邪魔するものではない。見守るものだ

やはり他力本願はダメだ。それにラブコールを受けているのは私なのだ。とはいえ、「Do Ge Za」に代わる何かで返答しようにも、金目の物はすべてホテルに置いてきていた。

唯一まともな所持品といえば、着用しているアウトドアの老舗ブランド、「モンベル」のジャケットくらいである。

そう、いまの私には上半身の「防水性」くらいしか誇れるものがない。とんだジェントルもいたものである。

なにせ、こちらは廃業したての失業者。「無職」という1点において、相対する二人は完全にアミーゴなのだ。

だが、幸いにして、そのときの私は、金銭に代わる価値あるモノを有していた。むしろビジネスにおいては、こちらの方が重宝される場合も多い。

それは、「情報」だった。

私はおもむろにアミーゴの背後を指差し、「ポリシア」と伝えた。スペイン語で「警察」である。しかもタダの「ポリシア」発言ではない。「プエド、ミラール、ポリシア」と伝えたのだ。意訳すれば「私には、警察が見える」である。

我ながら、あれは実に詩的だったと思う。

間違っても、「にいちゃん、あの警察が見えねぇのか?」といった、ケンカ腰ではない。「見える、私には、見えるぞ」のニュアンスだ。

これならば威嚇の要素が皆無であり、万一に警察が介入してもアミーゴがパニック、もしくは逆上するリスクも少ないはずだ。

無感情かつ事務的な事実の提示。もはや他人事のような報連相。これぞ忖度こそが美徳とされる公務員生活にて、私が長年培ってきたスキルである。

当然ながら勝負はこの一瞬で決定し、アミーゴは撤退を選択した。

「アディオス」

徐々に 遠ざかる彼の背中に、私はそうささやいた。

おわりに|クスコの治安について

さて、このまま終わるとペルーのクスコがアブない街と勘違いされてしまうだろう。よって、少し補足したい。クスコの治安はあんまり悪くないことを。

私はシャイボーイにアディオスした後、疑問を感じていた。「そもそも、あのアミーゴは何がしたかったのだろうか?」と。

ここクスコでは、街中に警官が溢れている。各ブロックに1、2名は見かける。冒頭の写真、アルマス広場にも10名近くはいただろう。

それに、市街を数分歩けば武装した警官と何度もすれ違うのである。

確かに警官の多くはスマホに熱中しているため、つけ入る隙はあろう。だがスマホを愛する彼らは、飛び道具を扱うマッチョであることも忘れてはならない。

つまり、クスコは目付きが鋭いくらいのアミーゴが気安くおイタできる環境にはないのである。そもそも往来には、通行人が少なくない。

思い返せば、謎多き壁ドンであった。

もしかしたらアミーゴは強盗ではなく、あのナイフを「買ってくれ」と言っていたのかもしれない。

だとしたら、腑落ちする。きっと生活苦のあまり、売るものが他に無かったのだろう。「50ドル」というのは少々お高いが、あの必死さならば合点がいく。

そして私は、言葉足らずな彼に同情しつつ、翌日に備えて宿に戻った。「レインボーマウンテン」行きのバスは、翌朝3時にクスコを出る。

いつまでも薄幸のシャイ・ボーイに構っている場合ではない。私の心はボロボロなのだ。